人と交わって情報や感動が生まれる


コロナ禍の騒ぎになって普及したのがリモートである。会議や講習会などほとんどがリモートとなった。移動する労力、費用、時間を考えれば便利さを感じざるを得ない。机の上で仕事をしていて時間になればその場で受けられる、相手の顔も見られて意見も言える、終わればまた、そのまま仕事に入れる。人との接触を避けるために普及したリモートだが、コロナの終息後も多分それが当たり前のようになるだろう。だが、果たしてこれに何の問題がないのだろうか?良いところばかりなのだろうか?先日もNHKでこの特集をやっていた、そこで問題にしていたのは、カメラと画面の位置が違うので全員が正面を映してないと言う事である。確かに皆さん下を向いた映像になっている。これはハード面なので解消は難しくないと思う。それより人と会わないので雑多な情報量が少なくなる事とその場の雰囲気や熱気を感じられない事を私は問題点としてあげたい。会議や集会と言うのは人に会えると言う要素が大である。講演を聞く、報告事項を知らされる、その事自体はリモートで間に合う。然し会議の中で隣の人に「この意見をどう思う」「こうにしたらと思うがどう」と言って、同調が得られれば質問や意見も言いやすくはないだろうか。また、会議が終わり行き会った人と会話をする中に何かの情報を得られる事がある。講演者が熱弁をふるっても受ける感動はその場にいなければ伝わって来ないだろう。そう考えるとコロナの終息後も便利さでリモートは普及はするが、従来通りの人が集まる講演や会議は存続されるだろう。テレビが普及してスポーツの人気は高まった。家にいながら野球を見られるのは便利である。然し何故毎回多くの人が球場に行って観戦をするのだろうか、それは観戦をしなければわからない視点や感動を覚えるからである。テレビの野球中継はピッチャーとキャッチャーと打者を中心に映してる、球場で観戦すると守備の位置がバッターにより変わったり、ホームランも打者によって描く打球が違ってくる。何よりも点が入った時の喜び、勝った時の感動、これらは周りの人々と一体になるがために倍増される。 コロナ禍によってリモートと言う便利さを普及させたのは今後も更に多く活かされて行くだろう。それはテレビが普及して視聴者が増え便利になった事と同じだろう。然し一方でその効果が現場に行く人を増やしたのも事実である。何はともあれ早くコロナ禍が終息して会議や懇親会、スポーツ観戦をできる日が来ないかと待ちわびる毎日である。